『宮荘(みやしょう)町』は滋賀県・琵琶湖の東部・湖東平野の東近江市(旧五個荘町)内にあります。集落の東南には新幹線と近江鉄道と国道八号線が通り、西北にはJRびわこ線が通っています。最寄りの駅はJRびわこ線が能登川駅・近江鉄道は五箇荘駅です。北東には滋賀県と三重県及び岐阜県堺にある鈴鹿山脈に源を発する一級河川愛知川の清流が流れ、南西には近江源氏佐々木一族の山城跡や西国33箇所の札所観音正寺のある繖(きぬがさ)山(やま)がそびえ、北西には聖徳太子の創建で名高い石馬寺のある山々が連なる気候風土に恵まれた地域です。集落区域は奈良時代の条里制が現存しています。昭和55年(西暦1980年)からの土地改良事業に於いても条里制を保存・以降、条里遺構研究者の訪問も多くなりました。集落内には五箇荘の起源とも言われています五箇神社や県下屈指の黒松のある行願寺等があります。
宮荘の玄関口・国道八号線宮荘の信号と歩道 
(大津方面からは信号を左折・彦根方面からは信号を右折)
五箇神社前「大通り(おおどおり)」
大通りは、国道八号線宮荘信号十字路から神社前を通り、五個荘七里町に至ります。奈良時代の条里制地割から、九条(くじょう)大通り(おおどおり)とも言われています
宮荘町の氏神「五箇神社」
往古は山の前八幡宮と称し、天智天皇の御宇9年(西暦670年)川嶋皇子の御勧請。繖(きぬがさ)山前の郷・五箇荘内11箇村の自然の総社で、五箇の森に御鎮座・本殿2社あり、五箇荘の起源となる。天正年間の古文書現存。嘉応2年(西暦1170年)現在の愛知川町沓掛・長野・大門・中村・川原の村々を含めて五箇祭りの組合祭礼始まるも、享保初年(西暦1716年頃)組合祭礼が中断し、以降・現在は宮荘1箇村にて例大祭が斉行されています。春祭りでの大神輿渡御は必見に値する。
五箇神社「大鳥居」
宝永4年(西暦1707年)富士山噴火による大地震にて神門倒れ、文政初年に鳥居再建の儀相成りも、未曾有の凶作が続き中断、西江州高島郡産の石材により文政12年(西暦1829年)鳥居再建成る。昭和47年の台風により杉の大御神木が鳥居に倒れ、おさまらない強風に揺さぶられ倒壊。翌48年に岐阜中津川産の石材にて再々建され現在に至る。(大きさは根元の直径2尺=60cmで、高さは2丈=6m)鳥居の額字は有栖川宮の御真筆。
重要文化財指定の五箇神社「本殿」
往古は2宇ありも、天正年間の兵火により焼失。文禄4年1宇を再建・合祀。天保10年(西暦1839年)棟梁大工は当所住の北村宗兵衛吉久も、当時の社寺名工・尾州名古屋の伊藤平左衛門守之により、前室付きの三間社流造で、向拝を前に構えた大型の社殿を再造営、現在に至る。まちの重要文化財の指定を受けている。

日本最大の「大神輿」
毎年滋賀県から発行される「滋賀県なんでも一番」にも紹介されています。(長さ8.45m 高さ3.80m)嘉永4年(西暦1851年)着工・6年の歳月をかけ、安政4年(西暦1857年)に完成。担ぎ手は80人以上必要。例大祭日は毎年4月の第2日曜日。

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五箇神社「曳き山」 
製作年代は不詳も江戸中期以降と言われています。春の例大祭日には日本最大の大神輿と共に、親に手伝ってもらった幼児達が曳航します。中でも曳き山の後背にある「見送り幕」は重要文化財級であります
寶光庵(ほうこうあん)「大日堂(だいにちどう)」
通称は大日堂と呼ばれ、五箇神社の本持仏とも言われ、神社の隣接地にあります。明治22年(西暦1889年)現在地に移築。堂内には上宮太子(聖徳太子)の作と言われる木彫座像の大日如来と石仏立像弥陀三尊と地蔵菩薩が安置され、安産のお守り仏として近郷よりの信仰篤し。
真宗大谷派栢尾山行願寺
往古は天台宗で、安土町石寺小字栢尾にあり。永正16年(西暦1519年)寺号と本尊が宮荘に移転、真宗大谷派に転派、現在に至る。現在も栢尾の小字の地名に行願寺山とあり。山号を栢尾山と称します。

行願寺境内の名松「黒松」 
境内には樹齢3〜400年を越える黒松が数本あり。その内の1本は幹まわり2.09p・枝の長さは幹の中心より17m余もあり、滋賀県下でも指折りの黒松です。

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辻伊賀守一族の塚
北之荘(現在の宮荘)には北之荘三人衆(川福兵庫之助・宇野因幡守・辻伊賀守)と呼ばれる豪族がいて、永禄3年(西暦1560年)江北の雄・浅井長政と共に観音寺城の佐々木六角軍と交戦(世に言う北之荘合戦)で討死。その時の一族を葬った墳墓で、諏訪家が代々管理しています。川福兵庫之助一族の墳墓は小字大塚に現存も、宇野因幡守一族の墳墓は慶応2年(西暦1866年)里民破壊し、今は田圃となっています。
野神社(のがみしゃ)
元は一級河川宮荘川の源泉「河曲池(かまがりいけ)」付近に祀られていたと言われています。農耕を守護する神で、例年8月の第一日曜日の夕方から「頭人」奉仕による祭礼が、太鼓と鉦と共に、往古より継承・斎行されています。
条里の元標(じょうりもとひょう)
寶光庵(ほうこうあん)大日堂(だいにちどう)の前にあり、奈良時代の条里制区割りの元標と言われています。明治6年(西暦1873年)日本国道路元標が東京日本橋に決定し、滋賀県は大津市札の辻に設置。明治19年(西暦1886年)からは市町村元標(里程標)となり、平成10年(西暦1998年)五個荘町の「あじさい事業」により、条里区割り田圃の小字地名碑と共に、記念碑が建立されています。
ハリヨの里「あれじ」
元は農業用水池でありましたが、地下水位の低下により枯渇し、昭和62年に埋立られましたが、区民の郷愁と元々生息していたハリヨの復活への願いにより、平成元年、郷づくり事業により区民総出の奉仕により完成しました。池の面積は75坪(247u)。ハリヨは氷河期の魚で冷水のある所に生息する。別名ハリンサバ・ハリンパとも呼ばれています。
東近江市五個荘商人屋敷「藤井彦四郎邸」
現在、国宝登録文化財の指定を受けています。元は近江商人藤井彦四郎の豪邸で、昭和55年(西暦1980年)五個荘町の歴史民俗資料館となり、平成17年市町村合併により五個荘町は東近江市となり名称も変更されました。

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